ESSAY

2011-09-16

縁育。

だれかのために使っている時間は、人生のなかの決してムダな時間ではなくて、それはその人とのご縁を育てている時間なのだと、そう教えていただきました。

じぶんがなにかしたいと思ったときに、たとえば写真家になって、写真で食べていきたいと思ったときに、たどるべき道というのがあると思います。それはまるで花を育てるように、まず土壌を肥やし、種を植え、日当たりの良い場所で水をやり、雑草を抜き、と、そういうことを根気よくつづけていかないといけません。そうやってようやく、花ひらく準備が完了します。

この過程に例外はありません。ところが、別ルートというのは、あるんですね。それが、ご縁を育てる、ということだそうです。

もしこれまでにちゃんと育ててきたご縁があれば、それをじぶんの咲かせたいツボミの開花のために、使わせてもらうことができるんですね。

先の写真家の例でいえば、じぶんが撮った写真を買ってもらうことで生計を立てたいと思っていたとします。ふつうなら、写真の腕をあげながら、人前で作品を公開して、買い手となる人を探したり、つくったりとしていくなかで、徐々によくなっていくはずです。けれど、じぶんがこれまでの人生で丁寧に育てていたご縁をもしもっていたら、その人が、もしかしたら手順を飛ばして(もちろん腕はいりますが)いきなり買ってくれる(お客さんができる)かもしれません。あるいは、お客さんを紹介してくれるかもしれません。そうやってなにかしら、チカラを貸してくれると思います。

これは、すごいことです。

ふつうにやっていたら、もしかしたら数年かかっていた手順をぱっと飛ばしてしまったわけですからね。けれどこれは、それまでにきちんとご縁を育てていた、という事実があるから可能になることです。

そういう意味では、だれかのために使っている時間、ご縁を育てている時間も、実は、将来(あるいは今)じぶんの花開かせたいと思っていることのために、使っている時間と変わらないんですね。いや、もしかしたら、それ以上の意味があるかもしれません。

ほら、そう思ったら、もっとやさしくなれそうでしょ。だれかのために一生懸命、丁寧に使う時間は人生のなかのムダな時間なんかじゃ、ないんだぜー。

あの聞きっぱなしの長電話も、あのタダ働きも、ね。

イデトモタカ