ESSAY

2011-10-01

ただ好き。

「好き」という気もちは、つまり「ハッピー」だと思うのです。好きな人のことを考えたら、それだけでハッピーになります。好きな食べもののことを考えたら、それもハッピーになります。好きな映画やマンガのことを想像しても、やっぱりハッピーです。だからぼくは、「好き」は「ハッピー」だと思うのです。

でも、「好き」がハッピーじゃないとき、「好き」が苦しいときは、それは「好き」に余計なものがついているときなのです。それが「執着」や「比較」や「依存」や「期待」です。これは、もともと「好き」とはちがうものです。ひっついてるけれど、ばらばらのものだと思います。

だから、そういうときは「好き」だけのこしておいて、そこについた「執着」や「期待」だけを、取り払えたらいいですね。では具体的にどうすればいいか、といえば、やはり諦めるほかないのですけれどね。

なにを諦めるのかというと、好きな相手ではもちろんなくて、なんというか、コントロールを、です。当たり前ですが、コントロールはできないわけですよね。だから、もう、委ねるほかないのだと思います。

なんだかぐずぐずと要点を得ずに書いてしまっていますが、昔ぼくは、実際にそうしたことがありました。

「好き」という気もちは、もう仕方ない。ある。だからそれはそれとして、相手の気もちや、状況や、現状といった、じぶんの影響の範囲外の部分、言い換えると、コントロールできない部分については、もう考えないことにしました。諦めました。委ねました。

そうすると、もちろんすぐにではなかったと思いますが、とても気が楽になりました。「好き」だけがのこって、それはなんというか、いいものでした。

ただ好き。

そうなれるといいですね。明日の天気や、宝くじの結果や、だれかの寿命や、相手の気もち、そういう、じぶんにはどうすることもできないことが、この世界にはある。ということを認めることは、ぼくはいいことだと思うのです。もっといえば、すがすがしいことだとさえ思います。

いい意味で、じぶんがちっぽけに、じぶんの悩みがちっぽけに、思えてくるんじゃないかなぁという気にさえなります。

いろんなことを、好き勝手にいってしまいましたが、そのどれかひとつのことばでも、あなたを支えるものがあればと願います。

ずいぶんと的外れなことも、うんといってると思います。いいようにだけ、とってください。

(あるメールへの返信)

イデトモタカ