ESSAY

2011-10-31

あのパーカーも。

あのコートも、あのジーンズも、大好きで、大好きで、ずっと着たいと思ってて、じぶんのなかでは早くも一生モノで、けれどいつまにか、もう、手元にはなくて。そういう服やモノって、意外にずいぶんとありそうです。

この時期になるといつも着るセーターも、だれかとの思い出がつまったパーカーも、はじめて海外に行ったときのブーツも、みんな、これじゃなきゃダメなんだ、なんて当時は思ってたのに、いつのまにか、もうなくて、そういう想いも、風化していて。そんなこと、思い出せないだけで、思い出さないだけで、すごくありそうです。

寒くなると、どうしてか、そういうことを思い出します。冬物は、夏物に比べて、長い付き合いになるからなのかもしれません。まるで服の方が記憶をもっているように、見ると、纏うと、いろんなことが回想されます。

学生時代に好きだった女の子と、近くの海まで自転車に二人乗りして、そのとき決って着ていたパーカーも、憧れていた人と同じような服がほしくて、お金を貯めて、勇気を出して買ったブルゾンも、いまはあげちゃったり、捨てちゃったりして、もうありません。当時からすると、まるで考えられないことです。けれど、実際に、もうないのです。

じょうずに覚えてはないけれど、小さいころに大切にしていたぬいぐるみや、ずっとにぎりしめていたオモチャや、毎日読んでほしいとせがんでいた絵本が、きっとぼくにもあったのだと思います。あるいは、いつまでも手をつないでいたい友達が、いたのだと思います。けれど、それらは、ぼくの部屋にはもうないです。その友達も、いまは、一緒にいないです。

不思議だなぁと思います。いえ、きっと、不思議でもなんでも、ないんでしょうけれどね。モノはいつか古くなって、使えなくなっちゃうし、人もいつかは縁が切れて、会えなくなっちゃうし。ぼくらはそういう世界の中で生きてるわけですもんね。

なにがあったってわけじゃないですよ。ただね、懐かしい服を箪笥から引っぱり出して、そういうことをね、感じたのです。

イデトモタカ