ESSAY

2011-11-25

おいしさの共有。

おいしいものを食べると、自然と笑顔になるものです。頼まれてもないのに、おいしい、おいしいと連呼するものです。そして、ただ、ただ、おいしいなぁ、しあわせだなぁと思っているだけなのに、次の瞬間にはなぜだか、大切な人の顔が浮かぶものだと思うのです。

きょうは、お世話になった人と一緒に小さなお礼としてお鮨を食べに行きました。とっても好きなお店でね、とっても贅沢な気分になれるおいしいお鮨を食べました。

一緒に行ったその人も、とてもうれしそうに食べてくれたのですが、笑顔になって、おいしいなぁと言いながら、お母さん連れて来たいなぁ、や、お父さんにも食べさせてあげたいなぁとひとりごとのように云うのでした。そういえばぼくも、よろこんでくれてうれしいなぁと、じぶんじしんもおいしいなぁと思いながらも、今度はあの人を連れてきてあげたいなぁや、あの人も、きっとよろこぶだろうなぁと、大切な人の顔を数えているのでした。

ものすごく昔の話、人類にとって、食事というのは、特においしい食事というのは、なにかしらの「戦利品」なのでした。大きな狩りに、あるいは人生に、成功した人だけが、口にできるものなのでした。だからそれは、舌やお腹だけでなく、こころでも幸せなことなのでした。

さらには、それを、大切な人たちにも食べさせてあげられるということは、「しっかりやってるよ!」ということの証明になるんじゃないかと思うのです。だから、じぶんの大切な人には、「しっかりやってるよ!」と、「人生はたのしいね!」の両方を伝えたくて、おいしいものを食べさせたい、一緒に食べたいんじゃないかしらん。

ふとね、お鮨を食べてにこにこしながら、そんなことを思っていました。

イデトモタカ