ESSAY

2011-11-27

話に尾ヒレをつける理由。

人はどうして、ものごとを大げさにいいたいときがあるのかしらん。話(噂)に尾ヒレが付く、なんてことばがあるように、人はあまり、事実をその通りそのままに、相手に伝えるということの方が、珍しいのではないかとさえ思います。そういうぼくも、だれも得をしないようなよくわからない尾ヒレを付けちゃうことが、やっぱり意識しなくてもあります。

むしろ、きちんとそのまま伝えようと意識してないと自然に、尾ヒレはついてしまうもののようにも思えます。

話をおもしろくしたいのかしらん。すごいといわれたいのかしらん。あるいは相手の、おどろいた顔が見たいだけなのかしらん。

この、人特有の、ものごとを大げさに伝える、という癖は、いったいどこで獲得するものなのかなぁ。どういう進化の過程で、ぼくらはこの、話に尾ヒレをつけるという技を得たのかしらん。

じぶんのことを省みてみると、やっぱり話に、特にじぶんに関わる話に、尾ヒレをつけるというときは、相手に「すごい」と思われたいと、こころの底で思っているような気がします。同性、異性に関係なく、「すごい人」だと思われたくて、そうしているような気がします。

でもそれは、どうしてかしらん。モテたいのかなぁ、見栄を張りたいのかなぁ、そんなふうにいろいろ考えてみるけれど、どれもちょっとちがう気がします。

けれどふと、思い当たるふしがありました。きっとぼくは、「相手にしてほしい」んじゃないかと思いました。相手にしてほしい、興味をもってほしい、じぶんと関わりを持ちたいと思ってほしくて、「すごい人」のように見せたいような気がします。

そして、その、気もちの根底の感情は、やっぱり「寂しい」じゃないかと思うのです。人は、寂しいから、寂しいのがいやだから、話を大げさにして、相手にしてほしいんじゃないかしらん。それが、ぼくなりの、ぼくが話に尾ヒレをつけるもっともらしい結論なのでした。

人の、ぼくの、根源的な感情は、「寂しい」のような気がします。

イデトモタカ