ESSAY

2011-12-18

目が合った分だけ。

目が合った分だけ、記憶に残るね。

そんなステキなことをさ、いう人がいました。それを聞いたぼくは、素直にそのとおりかもしれないと、じぶんのこれまでを思い返すと同時に、目を合わせるという行為について、目を合わせるという好意について、あらためて考えてみました。

そういえば、どれだけじぶんが、どれだけ一生懸命に、相手の目をじっと、ずっと、見つめていても、おなじ時間、おなじ空間で、相手がこちらを一瞬でも見返してくれない限り、ふたりの目が合うことは、ないのです。

つまり、目が合うということは、その場その瞬間において、互いの「気が合った」ということになりそうです。

相手がこちらを睨んでいる場合、見据えている場合というのは、それは例え目と目の焦点が合っていたとしても、「目が合った」とはいえないように思います。それはあくまでも「互いに見ている」というだけで、ぼくの(そしておそらくあなたの)思う「目が合う」では到底ないわけでさ。

目が合った分だけ、記憶に残る。その意味するところは、目が合ったというのは、瞬間とはいえ気が合ったということで、おなじ時間とおなじ空間を、共有したということにきっとなるんでしょうね。だからことばをかえると、「一緒に過した分だけ、記憶に残るね」ということで、それは実にそのとおりなのでした。

目が合う、目を合わせる、目に応える。ことばは交さなくても、ぼくはらそうしておなじ時間を過すんだなぁ。なにより、人間が人になるまえはずっと、ほとんど、そうして一緒にいたわけだもんね。

イデトモタカ