ESSAY

2012-02-11

脱・器用貧乏。

器用貧乏ということばがあります。手元にある国語辞典を引くと、「何事も一応はうまくできるために一事に徹底できず、かえって大成しないこと。また、そのような人。」とありました。ぼくの周りにも自称器用貧乏な人たちがいて(もしかしたらぼくもその一員かもしれないけど)、ことばのとおりなんでもいちように上手にこなすのだけれど、大成はしていない、という状況のようにみえます。その理由はなんでだろうと、疑問に思います。端的な解答としては、「一事に徹底していないから」になるのでしょうが、それだとあまりぼくの腑にスッキリと落ちないので、脱・器用貧乏少し考えてみたいと思います。

社会的に「器用である」というのは、要領がいい、ということであるけれど、それは少々意訳すると、「便利である」ということになるのではないかと思うのです。仮にそうだとすると、なるほど確かにぼくの周りにいる器用(貧乏)な人たちは、要領がよくて、いると便利な方々のような気がします。けれど、ではそれがなぜ貧乏という、ネガティブな表現とつながるのかしらん。

この問いに対してうんうんと思考をめぐらせていると、ひとつ「おっ」と思うことに行き当たりました。それは、「人は便利(器用)になればなるほど、他の人から求められるようになり、結果、どんどんサポートする側にまわることになる」という考えでした。これは、じぶんのなかから出てきたにしては、なかなかオモシロイ説でした。

それが貧乏と呼ばれる状態や環境と当然のように結びつくわけではないですけれど、実力や能力の割には、という枕詞がありとするなら、ぼくはそれなりに当たっているんじゃないかとも思います。じぶんが前に出てなにかをしたいと感じている場合において、という前提も加わりますけどね。

追記:

じぶんのことを器用貧乏だと思っていて、そしてそこから抜けだそうと思っているのなら、「なんでもじぶんでやる」という気持ちと決別する必要があるんじゃないかという気がします。

人を信じる、人に任せる、ということをする必要があるんじゃないかと思ったりします。

イデトモタカ