ESSAY

2012-08-28

子ども過ぎた頃。

過去の、ある一部分を切り出せば、たのしかったといえるのだけれど、結末としては悲しかったり、寂しかったりする出来事。思い出、というほどにはまだじぶんのなかで、消化も美化もされていない、生々しい痣(あざ)のような記憶。そういうものは、だれにしたって少なからず、あるものではないかと思うのです。

ぼくは思い出に対して、わりかし冷たいところがあるのですが、まだ思い出になりきっていないそういう過去の出来事については、ふと、ときには故意に、思い出してみることがあります。

そして、いつだって、ぼくは過去のぼくにいうのです。

子ども過ぎたね。

ぼくだけじゃないかもしれません。その時代、その場所に参加している主要な登場人物たちみんなについて、ぼくは「子ども過ぎた」と思います。もちろんそうじゃない人もいますが、そういう人物のことは、なぜだかあまり思い出しません。

こういった、子ども過ぎたという過去は、いつまでふえつづけるんでしょうね。じぶんが成長する限り、ふえつづけるんでしょうかね。それとも、オトナというものになれば、それ以降、もうできないんでしょうかね。

子ども過ぎた。それはわるいことではないのですが、厳しいことをいえば、それだけで、許されることでもない、という気がします。

子ども過ぎたぼく、子ども過ぎたあなた、あれからぼくも、あなたも、少しだけ、成長しました。では、また、思い出します。

イデトモタカ