ESSAY

2012-09-03

醗酵室に運ばれてから。

知識として得たことや、体験したこと、あるいは気づいたことなどが、実際にじぶんの人生に影響を与えだすのには、だいたい一ヶ月から三ヶ月くらいの、醗酵の時間を経てからではないか、ということを最近感じております。

やっぱりね、すぐじゃないです。食にしたって、いま食べたものの影響は、だいたい10年後に具体的に出てくる、なんてことがいわれていたりします。むしろ、飲めば翌朝元気になっている、といったような、一気に得られる変化というのは、飲まなくなれば、一気に失われてしまうものなので、そこにあまり深い価値はないのではないか、というような気がしてしまいます。

読めばポジティブになる本、観たらやる気になる映画、そういうものもね、いいとは思うんです。リポビタンDを飲むように、一気に活力がほしいときはありますからさ。ただ、ほんとに血肉として人生を支えるものは、ニボシとかブロッコリーとか玄米とかね、そういう類のものではないかと思うのです。

本を読むときには、ぼくは知ることよりも、気づくこと、過去の経験が腑に落ちることのほうが、はるかに重要だと考えています。けれど、そういったものにしても、その場でさっそく新たな道具として使えるか、といえば、本当に威力を発揮するのは、それらが醗酵室に運ばれて、じっくりといろいろなものが凝縮されてからだという気がします。

つまり、その場で効果を期待しない、ということが、読書にせよその他の体験にせよ、視点として持っておく必要があるのではないかというのがぼくの結論です。そういう意識さえあれば、そういうモノを選べます。そういう意識がなく、すぐに結果や成果を望めば、サプリや栄養ドリンクのようなモノを選びつづけ、その場では元気にもやる気にもなるけれど、いつまでも骨も筋肉も育たない、ということになるのではないかと思うのです。

イデトモタカ