ESSAY

2012-09-09

本音をいわない。

人には、人を変えたいという、妙な欲求があります。

じぶんの周りにいる人を、じぶん好みに変えたくて注意したり、いま身近にいる人に、「あなたはもっと、こうしたら変わるよ!」というアドバイスをしたくなったりします。じぶんの「いい」と、相手の「いい」は、必ずしも一緒ではないんですけれどね。

人はよく、「あの人は、もっとこうしたらよくなるのに」「あの人の、ここが変われば成長するのに」といったことを、思ったり、本人がいないところで話したりします。よくもわるくも勇気のある人は、「あなたのここがイケナイ、こうしたらよくなる」というアドバイスを、善意のこころでしたりします。けれど、それは、どうなんでしょうね?

仏教の世界では、じぶんの「意見」はエゴだといわれ、あまりいいものとはされていないようです。わたしはわたし、あなたはあなた、それでいいじゃない、なのです。

相手がもっとよくなりたい、もっと成長するためにはどうしたらいい? あなたの意見を聞かせて、と真剣に訊いてきたときには、あなたの思いの丈を伝えればいいのでしょう。けれど、なにも求められていないのに、「あなたはもっとこうした方がいい」「あなたのこういうところがもったいない」というのは、ぼくはエゴなんじゃないか、という気がします。誤解を恐れずにいいますと、それは「親切」という皮をかぶった「おせっかい」なのではないか、と思います。

一緒にいるじぶんが不愉快だから、気分がわるいから、あなたのこういうところ、直せない? というのは、じぶんの危機に関するものなので、一線を超えたならいえばいいと思います。あるいはおなじ目標に突き進んでいる相手には、達成に近づくアドバイスをするのもいいかもしれません。

けれど、そうじゃないときに、ただただあなたの主観としていう「意見」というのは、ぼくはもう少し控えてもいいかなぁという気がしてます。相手はそういうじぶんで、そういう人生で、満足しているのなら、それもありだねと、受け容れようと思います。

他人のことはよく見えます。だからといって、じぶんが相手より優れている、ということにはならないと思いますからさ。「本音をいわない」というのも、ぼくは日本の美しい文化の一つだと思っています。

そうやってぼくらは笑って生きてきて、これからも笑って生きていけるのだという気がします。

イデトモタカ