ESSAY

2012-09-25

一生懸命さのむつかしさ。

一生懸命さには、ある種の孤独感と寛容さ、一人芝居を愉しむこころと悲観的でない冷静さ、そして内側からあたためるような情熱という、なにかと複雑な資質が必要です。つまり(ぼくが思う)正しい一生懸命さとは、なかなかむつかしいものなのです。

一生懸命であることは、孤独です。一生懸命であろうと決めたその日から、あなたは孤独にたえなければならなくなります。他の人があなたほど、あなたの望むほど、一生懸命であるかどうかは、わからないからです。

あなた自身が一生懸命になるのかどうかは、あなた自身が決定するように、他の人が一生懸命になるのかどうかも、あなたではない他の人自身が決定します。そして仮にあなたほど、あなたの望むほど、他の人が一生懸命ではなかったとしても、それをあなたがとやかくいうのは、ほめられたことではありません。

わたしはこんなに一生懸命なのだから、あなたもこれくらい一生懸命にやりなさい、というのはわがままなのです。あなたが勝手にやってることなのですから。そのとき「あなたのためなのに!」と思ったり、わたしは「いいことをしているのに!」と思うなら、それは相当に良くないことだということです。

一生懸命はひとりでやるものです。たまたまそういう人どうしが集まれたなら、そういう気もちを個人がそれぞれに持てたなら、それは「素晴らしい!」と思います。だからといってはじめから、まわりにそれを期待するのはお門違いです。

一生懸命は一人芝居のようなものなのです。だれかを道連れにしていいものではありません。他の人の参加を目論むものでもありません。ただ、じぶん一人が一生懸命にやるのか、どうか、それだけのものだと思うのです。けれど皮肉なことに、まわりに一生懸命やろうといくら働きかけるより、じぶんがただ淡々と一生懸命であるほうが、賛同者は募っていくものです。

一生懸命にやろうと思います。あくまでも、ぼくひとりの問題としてね。

イデトモタカ