ESSAY

2012-09-30

シャッターの内側で。

閉じられたシャッターの内側で、すべてのものごとが動いています。あらゆる結果の種が蒔かれています。

ずーっと録画したままで観ていなかった、『ガイアの夜明け』というテレビ番組の東京大丸の新しい地下食品売場のオープンに関する舞台裏の映像を観ていて、強くそう思いました。

店内の設計はもちろんのこと、人目を引く仕掛け、来た人をさらによろこばせるユニークなコンセプトや空気感。そういうものは、ひっそりと、けれど着実に、閉じられたシャッターの内側でつくられています。当日も、外側からはただそこに、長いあいだ閉じられていたシャッターがあるだけですが、その内側には最後の調整や、願い、きょうまでの想い、そして熱意や確信があるのでした。

あの人のようになりたければ、あの人とおなじ行動をすればいい。昔はそう思っていましたが、それでは「半分(あるいはそれ以下)」なのだと最近は感じるようになりました。その人の凄さが培われた場所や経緯は、傍目からは見えないものなのです。それは閉じられたシャッターの内側で、ある種引きこもっているような時間の中で、育まれているものなのだと思うのです。

三つ子の魂百まで、ということばがありますが、実際的にも、幼少期、特に1歳から3歳くらいまでの養育状況に、人はとても強い影響を受けるそうです。その期間というのは、社会的にはいわばシャッターの内側にいる時間です。まだ外の世界との関わりを持たない時期に、ぼくらの人格の大きな要素が決定されます。

もちろんそれは、その後の人生で、じぶんで変えることもできるのですが、それもまたおなじように、閉じられたシャッターの内側での行為によって、実現するものなのではないかという気がします。

そういえばこの窓から見える世界もぜんぶ、変化は内側から始まっていて、見えない部分に支えられているのでした。草木の根は、ぼくらには見えないし、マンションの土台や鉄骨も、外側からは見えません。

見えない時間になにをするのか。それがつまり、どう生きるのか、ということなのだと思うのです。

イデトモタカ