ESSAY

2012-11-20

いま集まってる人たち。

いま集まってる人たちは、なんらかの利害や目的が一致して、一緒にいるのだということを、あらためて了解しておくことは、ぼくは大切じゃないかと思っています。

一対一の場合なら、「好き」という理由が、もっとも強固であって、わかりやすいです。でもそれが集団や、チームや、組織の場合なら、ただ「好き」という理由だけで、全員が半永続的に「そこ」にいることは、それはなかなかむつかしいんじゃないかという気がします。「むつかしい」というのは、「ない」と考えておくほうが無難だ、ということです。

ぼくはひとりで過ごすのが好きですが、仲間と呼べるみんなで過ごすのも、とても好きです。けれど、子どもじゃないですからね。忙しいオトナどうしが遊ぶとなると、ただ「好き」の集まりだけでは、なかなか場が成立しにくかったりもします。なので、たいていは「ビジネス」という共通の遊び道具でもって、集まることが多くなります。

もちろんそこでも、土台に「好き」がそれぞれに対してあったなら、とても関係としては良好で、ビジネスという面でも有利になります。けれど、逆に「好き」が減ってきたとしても、ある程度「そこ」にいることも求められます。そういう場合には、他にどの要素があって、一緒にいるのか、集まっているのか、ということが問題になってくるのだと思います。

ぼくは作業はひとりでしますが、仕事はチームで行なっています。このチームでどこまでいくのか、いつまでやるのか、最近あらためてそういうことを考えます。やっぱり夢や人生に求めるものが、それぞれに違うからです。その足りないパーツを埋め合うために、「いま」一緒にいるけれど、それが互いに手に入ったなら……とかね。「サヨナラだけが人生だ。」というのも、あながちそうだなと感じたりね。

イデトモタカ