ESSAY

2013-01-22

遅れてついてくる。

いい服とはなにか。それは身体の動きにぴったりとついてくる服だ。まず、じぶんの身体が動く。その零コンマ数秒後に、服が動く。この感覚が短いほどに、その動作が滑らかであるほどに、それは「いい服」だといえる。

昔、なにかの本で服飾評論家の人が、それも他の誰かの引用だった気がするけれど、そのようなことをいっていました。これもたしかに、一つの「いい服」というものの、定義といえばそのような気もします。

どうしてこのことばを思い出したのかといえば、零コンマ数秒後であろうがなんだろうが、じぶんが変化したときには、その周りのものは少し「遅れてついてくる」のだ、ということを、あらためて考えていたのです。

まず、じぶんの内面が変わる。じぶんのなかで、ことばにも出来ないレベルで、けれどたしかに「なにか」が変化する。でもまだそのとき、瞬間には、他のもの、つまりじぶんの「ことば」や「態度」や「選択」や「行動」や「価値観」は、あるいは「服装」や「スタイル」や「色」や「バランス」や「雰囲気」というものは、まだ古いままなのです。それらがじぶんに「ついてくる」には、零コンマ数秒であれなんであれ、多少のズレが絶対に存在しています。

そのために、好きだったはずなのに、似合わなくなった服や、たのしかったはずなのに、なんだか会話がつまらなくなった相手や、多大な影響を受けたはずなのに、なんとも思わなくなってしまった本や、じぶんが確信を持って過去に放った台詞なのに、それは違うだろうと同意しかねることばというものが、人生にはふっと出てきては、なんともいえない違和感をのこしていきます。それはじぶんの「意識」や「認識」さえも、まだ追いついていないからなのです。

じぶん(の内面)が変わってから、動いてから、世界やそれに伴うあらゆるものが、少し遅れてついてきます。その過程の真っ只中という時分は、極めて貴重な瞬間ではありますけれど、確実にだれもが経験している場所であるはずで、その「なんだかしっくりこない感じ」というものが、つまり「変化」の印なのではないかと思うのです。

ではきょうも、来てくださってありがとうございます。新しいじぶんは、もう先に進んでます。

イデトモタカ