ESSAY

2013-04-12

脳のマッサージ。

小説にせよアニメにせよ映画にせよ、エンターテイメント作品というものは、問題と解決にあふれています。大筋としての起承転結のそれぞれの中に、いくつもの事件があり、それらがぼくら、つまり観る側のアタマに常にたくさんの「Why?!」をつくります。そしてその疑問がまた、作品の世界への積極的な参加を促すのではないか、と思うのです。脳は空白(疑問・辻褄が合わない)を嫌いますので、「現状整理」と「Why?!」のじぶんなりの解釈にエネルギーを費やします。そしてこのことが、エンターテイメント作品の「気持ちのいい」ところ、気分転換としての効能なのではなかなぁと思います。

どういうことかといえば、エンターテイメント作品は「問題」と「解決」に常に観ている側の脳が振り回されますが、そのお陰でふだんの生活で使っていない部位にまで血液がめぐり、マッサージのように脳がほぐされるのではないかな、ということです。実際、日常のじぶんの生活の中では謎解きやパニックやスリルや勝利への駆け引きや挑戦やアクションなんて、そうそうないですからさ。もし、そういう部分を司る脳の部位があったなら、あんまり使ってないのではないかしらん。けれどやはり体と同じように、使ってあげなければ固く凝ってしまい、そしてそれは、よいことではない気がします。なぜなら、人間には太古からそういう機能はずっと備わっていたはずですからさ。

これは昨日思いついたことなので、正解かどうかはわかりませんけれど、ぼくにはなんだかそのように思えました。小説を読んでたのしい、どきどきする、映画を観て壮大なスケールの世界に思いを馳せる、それらは現実逃避といわれるかもしれませんけれど、一種の脳のマッサージなのだ、といったほうが、ぼくは正しいように思えますし、それだったらと、もっと積極的にそれらをたのしむ土壌が育まれるのではないかしらん、とも思います。

じぶんの本来のやること、やりたいことの生産性を高めるための別の行動は、無駄じゃないどころか、うんと必要なものですからね。最近になってですが、ようやく、そう考えられるようなゆとりのようなものが持てるようになってきたのは、はたまた成長なのかしらん、とニヤニヤしています。

昨日、一昨日と、急に思い立って映画を観ましたが、そのお陰で色々な思考の種ができました。スケールも必然性も異なりますが、日々ここでぼくも「作品」をつくっているとじぶんでは思っていますので、そういう身としては、なおさらよい経験をしたなぁとよろこんでおります。もっともっと、いろんな作品に出会って、もっともっと、いい作品を生んでいきたいなぁです。

映画でも、小説でも、マンガでも、アニメでも、ドラマでも、ゲームでも、エンターテイメントは人間(脳)に必要だから生まれたものだと思うと、よりいっそうたのしめて、ぼくはいいと思いますぜよ。

イデトモタカ