ESSAY

2013-05-02

離れて過ごす期間。

常に新しい刺激を求め、知らない世界を知ること、可能性が広がることに面白さを感じる。これは水が苦手な魚がいないように、人間だれしもが持っている性質なのだと言えそうです。そのために、あらゆる判断や選択の成功や失敗も、もとをたどればこういった癖、性質からきていることも多いように思います。

支え合うから人間なのだ、といいますけれど、やっぱり実際に何十年と生きてみて、じぶん一人だけでなにをやったかなと思ったりします。だいたいのことは「じぶん+だれか」でしたことです。直接的には関わっていなくとも、そのだれかの存在がなければ、こうなってはいなかったということばかりです。そういう意味でも、パートナーと呼べる存在は、ぼくはひじょうに重要だと感じています。

恋愛においても、仕事においても、パートナーによって結果は大きく変化します。そして最高のパートナーは、文字通り人生の伴走者のように、常にそこにいてほしいと望むようになる対象です。けれど、なのです。けれど、冒頭に書かせていただいた人間の抗い難い性質、先天的な癖として持っている、常に新しい刺激を求め、知らない世界を知り、未知の可能性を広げたいという、この欲求というものは、ある意味で「じぶん」から適度に遠い存在でなければ満たされにくいものです。

変わった人だなぁと思ったり、じぶんとは違う世界の人だなぁと驚いた相手でも、魅かれて親密になっていくということは、結果としては「似てくる」ということになります。似たもの夫婦といいますが、一緒に感心し合って過していくと、人は似てくるのです。互いの「いいね!」を吸収していくわけですから。だけれど、そうすると、いつかは「刺激」がなくなります。生活も反応も類似してくると、触れる事柄や身をおく環境も似通ってくるので、それを「心地良い」と表現できるのかもしれませんが、裏を返せば「つまらない」にもなってきます。

そう考えると、パートナーとは、恋愛でも仕事でも、感心し合って親密に過ごす期間と、仕入れではないですが、別々の刺激を個々に受けるための離れて過ごす秘密の期間と、この両方があることが、ぼくは理想的なのではないかと思うのです。そういう関係に憧れるから、ぼくは別のところで別のことをしているともだちや女性をいいなぁと思ったり、好いたりしている気がします。

好きな人ほど、仲の良い相手ほど、より親密になるために、より尊敬するために、離れて過ごすことが必要。こういう矛盾のようなものが人生にはたくさんありますが、それがまた、この世界を面白くしているように思います。

ぼくが「ひとりの時間」を尊重する理由も、あるいはおなじ理由なのかもしれません。

イデトモタカ