ESSAY

2013-05-12

あと五回も会わない友人。

構わない、といえば構わないのですが、想像するとそれなりに切ない問題として、いまはそれほど親しくないかつてのともだちとは、おそらくあと五回も会わないだろうということです。当時の友人関係は、その当時にしか成立しないので、どれだけ仲良かろうが深かろうが、現在がそうではないのなら、もう、そうではないのです。そういったかつての関係を懐かしむことはできても、取り戻そうとすることは不毛であり、叶いません。だからこそ、いまはそんなに(まったく)連絡も取らず、会うこともなく、話すことも過すこともないわけで。とはいえ、もうこの人生で、彼に、あるいは彼女に、あと五回も会うことはないんだろうなと、いざ想像力を発揮してみると、なんともいえない切ないものがあります。いやいや、いまでもずいぶんと関係の深い相手でも、特に頻繁に連絡を取り合うということをしないことも多々あるわけでして、そういう存在とも、もしかしたら十回は会わないかもしれないのです。そのくせ、家の近くのコンビニの店員さんとは、まだまだ数えることもできないくらい、顔を合わせたりするかもしれないのにです。

家族にしたって、それはおなじことが言えるわけで、父親、母親、兄、弟、姉、妹、離れて暮らすということは、それだけ自然と会う機会は減るということで、その「減り具合」はどんなものかといえば、物理的な距離や関係性に左右されるとはいえ、実際には二桁で数えられるほどなのではないかと思います。あるいは桜にしたって、春にしたって、あと何回見られるのか、過せるのかと考えれば、うーん、少ないもんですねぇ。

きょう空港の近くの大きな本屋さんに行ったのですが、ちょっと愕然としましたもんね。ああ、ぼくはここにある知識の大半を、あきらめざるおえないのか、と。大げさかもしれませんけれど、けれどそれは事実なのです。なにを、だれを、選ぶのか。ただその繰り返しなわけですが、それがすべてでもあって。なにを、だれを、選ぶのか。じぶんの自由になる部分と、ならない部分と、いろいろと都合らしきものはあるのでしょうが、悔いのないようにはいきたいですね。ゼロ、まったく無し、というわけにはいかないでしょうが、あきらめがつく程度には、ね。

見ないフリをするのはラクですが、常に「それでいいのか」という声に悩まされるのは、胸が苦しいことですからさ。向き合うところは、向き合わないとねー。

イデトモタカ