ESSAY

2013-05-28

踏みそこねた階段。

飛ばして踏まなかった階段は、けっきょくいつかまたその高さにまで降りて、踏まないとどうしようもないときが来たりします。一足飛びに、ということは、短期的には可能そうに見えたとしても、長期的には、やっぱり相当にむつかしいことです。これは、論理的に理詰めでこういう理由からだ、と明言できる種類のものではなさそうなのですが、しいてぼくなりの解釈で言えることがあるとすれば、それは「基本が大事だ」となるのではないかと思います。

どんな分野においても、その世界観の土台、基本となる考え方や行動、方針があります。それを度外視して、退屈でくだらないことだと軽視して、飛び級やワープを夢見たところで、そして仮にその一部が上手くいったとしても、ある境界以上を求めたときには、じぶんのなかの土台の小ささに気づいたりします。エジプトのピラミッドを、逆さまの形でつくるのはむちゃがあるのです。土台の上には、その土台よりも少し小さな応用しか積み上げることはできないものです。なので、これ以上積みたい、高くしたいと思っても、基礎となる土台が未熟であれば、渋々そこからやり直すほかにしようがありません。それがぼくのいう、基本が大事ということです。

実感的な話をすると、なんとなくうまくいったことにも、やっぱりそれなりに理由や縁があるわけですが、基本のうえに成立した「うまくいった」ではないのなら、そこに再現性、つまり「次」はなかなかないのです。また運や縁に恵まれるまで待たないといけません。でも、そんなのは嫌だ、待ちたくない、今度はほんとにじぶんの実力でうまくいきたい、とそう思ったならどうすればいいのかといえば、やっぱり色々考えた結果「基本からきちんとしよう」ということになるのが人なのではないかと思うのです。

それぞれに「踏みそこねた階段」は違いますから、該当する「足りない基本」だって異なります。それでいいですし、そういうものだと思います。おそらくですが、一段も飛ばさずに、確実に一段ずつ昇ってきた人なんていないだろうと思いますから、そういう後戻りのようなことは、壁にぶつかったら誰でもするんじゃないかしらん。

基本や基礎を無視して邁進することで、少ない土台の上に絶妙なバランスで積み上がったものを「これが個性だ!」といったとこで、ぼくはいつか限界が来るんじゃないかと思います。そこそこのものにはなっても、それ以上となると疑問です。稀に天才もいるのでしょうが、ま、関係ないですからね。

早寝早起き、笑顔であいさつ、嘘をつかない、人に親切にする、困っている人に手をかす。子どものときに習った人間社会の基本を、大人のぼくらができてるかっていうと、いやはや、ね。

イデトモタカ