ESSAY

2013-05-30

なぜ整理整頓は重要なのか?

ぼくは整理整頓をモットーとしておりますが、その理由をあらためて考えてみました。つまり、「なぜ、整理整頓は重要なのか?」です。そしてぼくなりに出た答えというのは、端的にいえば「病気になるから」なのでした。

あまりうまく伝えられないかもしれませんが、そもそも個人において整理整頓する対象というのは、拡張したじぶんなのです。言い換えるなら整理整頓は「拡張された自己管理」です。

モノが多いということ、たくさん持っているということは、「じぶん」の延長線が長い、多いということです。それはいいことでもあります。できることが増えるかもしれないし、感じる気持ちも増えるかもしれませんし、便利だって増えるかもしれません。要するに世界が広がるかもしれません。けれどそれは同時に、注意したり、管理したりと、見ておくべきものが増えるということにもなります。

背中にも手があったとしたら、もしかしたら便利なのかもしれません。(寝にくいだろうというのは置いといて)けれど、あったらあったで、その手についても爪を切ったり、ケガをしないように注意したり、洗ったり、拭いたり、ハンドクリームをぬったりと手間のかかることも出てきます。膝に目がついていても同じことで、いいこともある反面、やっぱり面倒なことも少なからず出てきます。モノを持つということは、究極的にはそういうことになるんじゃないかと思うのです。

ナニカがたくさんあればあるだけ、じぶんの世界は拡大、拡張される可能性があります。けれどそれは抽象的には身体が増えたり大きくなったということと一緒なので、もし具合の悪いことになっても放置していたり、気がつかなかったり、面倒を見なかったなら、やっぱり「病気」になってしまう気がします。

そもそも整理整頓ができないという悩みというのは、所有しているモノ(整理整頓すべき対象)が、本人の拡張自己としてのキャパシティを超えている、ということになると思うので、そう考えると、ただ、目の行き届く範囲にまで世界を縮める、戻す、つまり「捨てる」ことしかないのではないかと思うのです。

とはいえ、ま、あくまで考え方の一つであって、ぼくはそう思うというだけですからね。混沌としたわけのわからない混乱状態からこそクリエイティブは創造されるのだーっという言い分も、ぼくは否定いたしません。ただ、拡張された部分も含めて「じぶん」を正確に把握できないということは、結局自己評価を誤るということで、正しい判断が意思決定ができなくなる危機があります。「じぶん探し」をするくらいなら、まずじぶんはどこからどこまでなのかがわかるほどに、モノを捨てて拡張されたじぶんと自己意識のじぶんをぎりぎりまですり合わせてみたらどうかしらん。よっぽど、わかることがあると思います。

イデトモタカ