ESSAY

2013-06-11

一つのやりかた。

一所懸命に全力でやってきた結果が、いまのじぶんなのだとしても、皮肉にも、全力でやってしまってきたことが、いまのじぶんになってしまったのだ、と思うことがあります。

もし過去をやり直せるとしたら、どこか一つでもやり直してしまった時点で、いまのぼくではなくなってしまうかもしれない。そう思うと困っちゃうのですけれど、まぁ、仮定の話として過去をやり直せるのなら、ぼくは「力を抜く」ということをしたいです。

常になにかしらかに熱中していた学生時代。ぼくはたぶん「全力」だった気がします。だからこそ、得られたものもたくさんあります。けれど、いまの年齢になったからこそはじめてわかることなのですが、力の抜きどころをまったく理解していなかったので、さまざまなモノゴトが「そこそこ」だったとも思います。

学生時代よりは後、けれど現在よりは前、という時分なら、あのときもっともっと頑張っていれば、全力のさらに全力を発揮していたら、と思うこともあったのですが、いまは違います。違うどころか、正反対のことを思います。あのときほんのわずかでもぼくに「力を抜く」余裕があったならなぁと思います。

じぶん自身がストイックになる分にはいいのです。好きにせいやいです。けれど、社会という関係性のなかで生きるには、それはあまりうまく機能しないことが多いのも事実です。陸上競技でも、恋愛でも、勉強でも、友人関係でも、服装でも、全力を尽くすことはうつくしくもありますが、それと「望む結果」とは、必ずしも比例しないものです。大人のみなさんなら、ぼくよりももっと以前から、もっと腑に落ちて、ご存知のことかもしれません。

全力を出すことを、ぼくはまったく否定しません。出せ出せ出しなはれと思います。けれど、それは「一つのやりかた」でしかないぞ、ということは、思います。力を抜くという、また別の一つのやりかたが、全力を出すというやりかたを超えることだって、ある。たくさんある。そういうことを、いっているだけです。

毎日毎食全力でお腹がはちきれそうになるまで食べる人と、たまにはいっぱい食べるけど、ふだんは八分目に食べる人。どちらが健康かは、ま、いうまでもないわけでしてさ。

イデトモタカ