ESSAY

2013-07-11

小さくなってしまう夢。

いつかたどり着けたらいいなぁという場所が、あるのとないのでは、やっぱり違うくて、いつか手に入れられたらいいなぁというものが、あるのとないのでは、それもやっぱり違うくて、学生のころ、青春時代と呼ばれるころは、それらが目まぐるしく変化しながらも、なにかをつかもうと必死になっていたことが、けっきょくオトナになったときのじぶんの素(もと)になっているのだと思います。

子どものときは、できることが本当に少ないです。じぶん自身のことを思い出しても、やっぱり子どもというのは相当に不自由でした。守られている存在ということは、その城塞の範囲でしか動けないということです。けれど同時に子どもの時分には、オトナとは異なる「ゆとり」が多く存在するので、目の前のことに夢中になれる部分もあります。

ある人がいっていました。子どもはほんとに不自由だ。大人になるにつれて自由が広がる。なのにどうして歳をとればとるほどに、夢は小さくなってしまうのだ。

幼稚園児のころは大リーガーになりたいでも、小学生になるとプロ野球選手になり、高校生になれば目指せ甲子園になり、大学生では社会人野球のスタメンで、社会に出たら草野球というのは可笑しいだろう、と。

夢や目標がこじんまりしてくる感じは、かなしいかなぼくにもわかります。「現実を知る」というのが一般的な解釈かもしれませんが、だからといって諦めるのであれば、それほどのものといわれても仕方ないのかもしれません。

諦めなければ夢はいつか必ず叶う。そういうことばは昔からあります。たくさんの人がいっています。つまりその人たちは、現実を知った上でも、やっぱり同じ気持ちで進み続けた、求め続けたんでしょうね。それはどこか「子ども」のようです。

あるいはオトナになるにつれ、目先のことばかり考えてしまうようになるのは、少しがんばれば叶いそうな目標ばかり抱いてしまうのは、身体がそれ以上に成長しないということにも関係があるのかもしれません。書きながら、突然そういうふうに思いました。

子どもはオトナを見ながら「じぶんはどれだけ大きくなるのだろう」と想像します。そして身長が100cmにも満たない子どもにとって、身長が150cmを超えるオトナというのは、誰にしたってスーパーマンに見えるような気がします。なんでもできる存在に思えるような気がします。だからこそ、将来のじぶんに期待できるものもあるのかとも。

オトナになったぼくらは、もう身長は伸びないでしょうが、身体は鍛えていくことができます。筋肉をつけることも、痩せることも、柔軟になることも、オトナになってからでもいくらでも可能です。じぶんの身体を進化させることで、成長させることで、夢や目標に対する考え方も変わるのではないかしらん。なんだか思ってもみなかった末文になりましたが、小さな希望が見えました。

イデトモタカ