ESSAY

2013-08-08

ちゃんとする教。

うまくいかせたいことがあって、うまくいっている人がいるのに、じぶんはうまくいっていないのだとしたら、その差はどこにあるのですかと考えれば、たいていはうまくいっている人の方がじぶんよりも「ちゃんとしている」という、この一言に尽きるのではなかろうか。

じぶんのことを省みてみても、ちゃんとしていることはうまくいっているし、ちゃんとしていないという負い目が少しでもあるものについては、やっぱり、それをちゃんとしている人ほどはうまくいっていないものだ。

それらは当然のことなのだけれど、どこか、ちゃんとしないじぶんがいる。「ちゃんとする」のは大変なことだ、と知っているからだ。そして、それほどのことをしてまでは、得たい結果ではないと思っているのかもしれない。つまりそこに、じぶんのなかの綱引きがあり、需要と供給があり、ちゃんとすることがちゃんとしないことによってもたらされる「なにか」に負けているということだ。

はっきり言おう。ほとんどすべてのことは「ちゃんとすれば」それなりにうまくいくものだ。ちゃんとしている人がうまくいっているところで、それ以上にちゃんとしたのにうまくいかなかった、ということがもしあったとすれば、ぼくの指くらいはあげたいものだ。

いまあなたのすべき「ちゃんとする」ものが、ほんとにちゃんとできているのか、あとどれくらいちゃんとできるのかは、あなたが一番よく知っている。そして、その際限の無さ、無限性に少しうんざりもするかもしれない。でも、そうだとしても、この世の中ではちゃんとした人はそれなりにいいことがある。それは、信じてもいい宗教だと思う。

イデトモタカ