ESSAY

2013-08-23

第三のなにか。

日常的にお祈りの時間がある人たちは、いつもの倍忙しい日には、いつもの倍お祈りの時間をとると聞いて、ぼくはひどく納得し、感動した。均衡とは、そういうものだと思った。

なにかをはじめるなら、他のなにかをやめなければならない。それは正論だ。なにかの時間を増やすのなら、別のなにかの時間を減らさなければならない。それも当然だ。

けれど、祈る彼らはそうしないのだ。新たな選択肢をとったのだ。なにかが増えるなら、もう一方のなにかも増やすということを選ぶのだ。

そんなこと、できないだろうと思われる。それは不可能だ、無理だ、と反論される。でも、実際にそうする人たちがいるのだ。

もちろん、すべてのことには、すべての人には、あてはまらない方法かもしれない。それでも、ぼくは提案したいと思う。

なにかをはじめるのなら、他のなにかもはじめようと。なにかの時間を増やすのなら、別のなにかの時間も増やそうと。

そうすることで減る「第三のなにか」こそ、本当にやめるべき、減るべきものなのだ。けれどそれはふだん、見えない場所にあるものなのだ。

イデトモタカ