ESSAY

2013-09-22

ルールは古くなる。

そういえば中国という外国へ行き、そこで一週間ばかり過してみて知ったことの一つに、あの国では夫のある女性の浮気というものが、罪のなかでも非常(非情)に重く、通例として死罪となるのだということがあり、それはやはり現代っ子のぼくにとっては驚くべきことであったのでした。

こういってはなんですが、文明が原始に近いコミュニティほど、特に既婚女性の浮気に対してひどく厳しい目を向ける風潮にある気がします。それは「男主体の社会」の象徴でもあるようです。本来ならば、つまり冷静に客観的に見るならば、浮気という罪に対して、その主犯が妻のある男であるのか、夫のある女であるのかという違いなど、あるはずもないように思われるのですが、そうではない、そうではない社会が長く一般的だった、ということを考えたなら、やはり男というのは長らく馬鹿だったという気が、ぼくなどはしてしまうのでした。

良くも悪くも、という冠が必要かもしれませんけれど、先進国、というよりかは、先進的な思想の国ほど、あるいは先進的な思想を持たざるをえない国ほど、浮気やそういう類のものに対して、ある意味で意識的に感心を減らしているような気がしなくもないように思われます。それは離婚というものへの対し方にもあらわれます。

好きな人がいるけど、好きな人がいる。

その矛盾をどれだけ理解できるのか。あるいはそれをどれほど社会が許容できるのか、器を持っているのかということは、どう考えるのがいいのでしょうね。これはまだぼくにしてもよくわからないところです。

ただ、人間というものを根本から理解しようと思えば、そういうことは「あるぞ」ということかしらん。それを推奨はしませんし、許されるべきだ、と強要する気もありませんけれど、それを頑なに否定する社会というものは、やはりもう時代遅れだとは言わざるをえない気はします。ルールの方が、現代を生きる人々の意識に寄り添えていないということは、たくさんあります。

イデトモタカ