ESSAY

2013-10-06

あいつは変わった論。

暇にしている人がいて、いつでもどこでも電話したら、こちらのお願いや頼みをすぐに聞いてくれて、即座に対応してくれていたとします。けれどその暇な人もいつしかいろんな人から実力が認められるなり、必要とされるなりして、忙しくなっていったとき、前のようにこちらがお願いや頼み事をしたときに、今は無理だとか、もう少し時間がかかるとか、場合によっては仕方ないにせよお断りされるときがくるかもしれません。こちらよりもいい条件や、いい仕事や、重要な問題が増えていったなら、それは自然であり、しようがないことです。義理や情を忘れているわけではなくても、時間は有限なのですから。

だからここで、こちら側としては「あいつは変わった」とは言うべきではないでしょう。そう不平をもらしたくなる気もちもまた、自然です。じぶんが見つけた隠れ家的なお店で、店長や店員さんもすごくフレンドリーだったのに、いつしかさまざまな人に伝わって、知る人ぞ知るお店から、大繁盛店になったとき、店長も店員さんの気もちは変わっていなくても、こちら側の満足感や対応の仕方への不満は出てくることでしょう。この場合、「あの店は変わった」と言うでしょう。ぼくにしたって、言いたくなるでしょうけれど、けれど、そういうわけじゃないんだとは思えるじぶんでいたいなと願います。

「あいつは変わった」という場合、いろいろなパターンが存在するはずですが、少なくない状況で、本当に変わってしまったのではなく、ただ単に「じぶんにとって都合よくなくなった」ということがあるのではないかしらん。

じぶんにとって、都合のよかった人が、じぶんにとって、都合のいい人ではなくなった。それこそこちら側の都合なのですが、あらゆる状況で、そこで「あいつは変わった」という恐ろしい台詞はが吐き出されるのを目撃してきたような気がします。

誰しも、じぶんのことに一番興味があり、誰しも、じぶんの要件が一番重要ですからね。それを優先されないことを相手の人格のせいにするのは、ちょっと、大人げないように思われます。じぶん自身、気をつけねば、なのでございます。

イデトモタカ