ESSAY

2013-10-09

問題になる人。

すごくいい人で、やさしくて、気が利いて、穏やかでたのしい人なのに、なぜかいつも「もめ事」のなかにいる。

その人単体でみれば、なんの問題もなさそうで、実際いろんな人が接してみても、おかしなところはなさそうなのに、むしろとても好意的に思われるのに、どうしてか、あっちのもめ事にも、そっちのもめ事にも、こっちのもめ事にも、必ずその人の名前が入っている。直接的な原因ではなくとも、その人がいるところでは問題が起きやすい。

そういう変な性質の人がいる。けれど、間違いなく、その人が、客観的には問題のなさそうなその「いい人」が、問題の原因であり、引き金であると推測する方が、ずいぶんと自然なのだと思われる。それほどまでに、登場する人なのだから。

ぼくも、どうやらそういう変な性質の人らしい。じぶんでは気づいていなかったけれど、近しい人からそう指摘されて、自覚した。確かに、ぼくにはそういうところがある。

なにもぼくは、すごくいい人で、やさしくて、気が利いて、穏やかでたのしい人だとは、じぶんのことを思っていない。そんな人はめったにいるもんじゃないわけで。ただ、少なからず「激しい人」だとも、じぶんのことを思っていない。トゲトゲとして、偏屈で、どこにいっても誰かを傷つけてしまうような危なっかしい存在だとは、じぶんには、じぶんを、どうもそうは思えない。

どちらかと言えば、愛想のいいほうなのだ。へらへらとして、年少者として、場を壊さないように、どちらかといえば気遣っているいるつもりなのだ。けれど、問題が起こる。小さいものから、中くらいのものまで。すごく大きいものは、さすがに起こらない。それほどの人ではないということだと思う。

ただ、起こる。小さいのやら、中くらいのやらの問題は、いろいろな場所で、いろいろな人たちの間で。

これは、なんなのだろうか。

じぶんのことなので、皆目見当がつかない。けれど、いるのだ、そういう人は。そして問題の原因は、そいつなのだ、つまり、ぼくのような「ふつうの人」なのだ。

とはいえ、ぼくの個人的な推測と結論は、「ふつうの人に見えて、性格に厄介な難アリ」だ。そうだろうとしか、考えられない。

イデトモタカ