ESSAY

2013-10-23

悔しさをわかっていながら。

完璧な状況、充分な状態というものは、いつまで経ってもけっしてないということは、人生における悲しい事実です。「(まだ)いいものができない」とわかっていながら、それに挑まなければいけないことが、たくさんあります。いえ、そういうことばかりかもしれません。

例えばあなたが、作曲家になろうとしたとします。作曲家になるためには、曲を創らなければいけません。だからもしあなたに既に、最低限必要な知識があるのなら、きょうからでも創っていくことが大切だと思います。けれど同時に、もっともっと知識を増やすために、技術を磨くために、本を読んで理論を学んだり、名曲を解体してじぶんなりの法則を見出したり、ということをしていく必要もあります。

そういうことをし終わったときに創った曲の方が、いま創っている曲よりも「いいもの」になる可能性は高いのかもしれません。けれど、足りないとわかっていながら、まだいいものができないと了解していながらも、日々創っていかなければならないと思うのです、曲を。

そして、「そういうことをし終わる日」は来ないのです。知れば知るほど、学べば学ぶほど奥が深くなり、わからないこと、知らない、知りたいことが増える、というのが学習の真実ですから、いつになっても来月の方が、来週の方が、明日の方が、「いいもの」を生み出せる可能性は高く思えます。そうであるほうが健全で、健康的です。でも、だからこそ、いま創ること、創りつづけることが、辛いけれども重要に思われるのです。

学校の宿題にも、仕事にも、人生にも、締切りがあります。だから「(まだ)いいものができない」としても、じぶんはもっといいものができるようになるという信念を確かに持っていたとしても、足りないじぶんで挑むしかないんですよね。悔しさを噛みしめて。

じぶんがじぶんに「そろそろOKだ」とサインを出すまで待つという方法も、ないわけではないのですけれど、ぼくのこれまでの経験を信じるのであれば、人は困ったときに一番貪欲に学ぶものなのです。だから、まだ全然OKではなくても、実際にやってみて、悔しい思いをしたり、困ったりしたときに、ただじっと準備をしているときの、何倍もの生きた経験値を得るのだと思います。発表するかしないかは、別ですからさ。挑む、ということにおいては、いつだっていまが「そのとき」なのだと思うのです。

イデトモタカ