ESSAY

2013-10-30

こころの模様替え。

好きな人に好かれているという、互いの片想いが成立しているときは、それほど幸福なことはないのですけれど、それがいつか、また、片想いに戻り、あるいは、互いの片想いを確認する術を失い、ただ、じぶんが、あの人のことを好いている、ということしか確かなことがなくなったとき、人はじぶんのこころの模様替えに苦心します。

かつて、好きだった人。いまでも、好きな人、なのかどうかさえ、もうよくわからないような人。けれど、忘れられなくて、消えなくて、気になることは事実なのだとしても、それに対してもう起こすアクションがない。そういうとき、人は、じぶんという存在を、あるいは相手という存在を、どういうポジションにつければいいのか悩みます。こころのなかで、さまざまな感情の、思い出の、存在感の、配置の変更を求められます。この模様替えがうまくできないと、あるいは、もどかしさから手を付けられずにいると、いつまでも、古い景色のままで、いつかの景色のままで過すことになり、それはやはり、それで、つらいものが残ります。

一般に、女性の方が模様替えのセンスや、手際が良い印象がありますが、それはこころにおいても同様のことが言えるのではないかと思います。ぼくにはどうしても、男性の気持ちしか、それはわかりようがないのですけれど、でも、ひいき目なしに、男性の方が、模様替えは不得手に見えます。ぼくがとりわけ面倒くさがりだということは考慮しなくてはなりませんが、それでも、いつまでも、このままでいいと、「いつか」と同じ配置やポジションのまま、だらだらと時を経てしまう人が多い気がします。

こころの模様替えは意図的です。じぶんで意図して行うものです。ほうっておいて、いつのまにか変わってた、ということは、やっぱりないのです。ただ、日々少しずつ、一日五分でも、何か一つでも、片付けていったり、場所を移動させていくことで、やがてすっかり変わってしまうことはあるでしょう。人工的に、わざと不自然な配置にすることは、別の意図があるようで、いいとは思えないですが、自然に、けれどじぶんの意志でもって、ゆっくりと変えていけたなら、そこにまた、新しい風が吹くのだと思います。

イデトモタカ