ESSAY

2013-12-13

成長を止めるもの。

中学生のときにはじめたギターも、高校になって熱中したブレイクダンスも、ぼくはそこそこうまくなるまでの時間は一緒にはじめた他の誰よりも早かったという自信があります。それこそ無我夢中で一日中そのことばかり考えて、ひたすらに練習していたわけですから、うまくなるのは当然といえば当然のことでした。

けれど、そこそこ、ある程度じぶんでもうまくなってきたなぁというところからのぼくの上達のスピードは著しく落ちました。落ちた、というよりも、正直もうそれ以上には目に見えた成長はしませんでした。だから結果としては、一緒にはじめた他の人の方が最終的にはぼくよりもうんと上手になっていたと思います。

その理由が今になってようやくわかるのですが、もちろん練習しなくなったとか、情熱が冷めたとかいうことではなくて、まぁ間接的にはそうなってしまうのですが、一言でいえば「無理だ」と思ったその瞬間からぼくの成長は止まったのでした。

ぼくは情報マニアのようなところがあるので、じぶんが興味をもったり熱中したことについては、気が済むまでずいぶんと積極的に本を読んだり資料を探したりと情報収集をします。ものごとをはじめる初期においては、それが功を奏して上達スピードが早いのですが、一方で、ある程度その世界のことがわかってくると、今度はその世界にいる「とてつもなくすごい存在」をたくさん目にすることになり、そして多少なりともじぶんもそこの住人であるからこそ、その「とてつもなくすごい存在」とじぶんの間にある気が遠くなるような差に愕然としました。

そして現実的なぼくは「無理だ」と思うのでした。「あんな人たちになれっこない、勝てっこない」その思考が頭に根ざしたその瞬間から、ぼくはもうそれ以上のなにものかになる道をじぶんで閉ざしてしまっていたのでした。

もっともっと成長する、上達するには、絶対的にじぶんは「できる」という思い込みが、根拠なんてなくてもいいので、そういうプラスの思い込みがなければいけません。ブレーキをかけているのは、いつだって、じぶん自身の(これまた根拠のない)マイナスの思い込みなのですからね。

そういう面では、ぼくは「書くこと」、特にこういったエッセイを書くことに関しては、まだまだなのは承知しておりますが、それでも「いける、できる」という思い込みがあります。そういうものがある、ということに気がつきました。だから努力と思わずにたのしく続けられているわけですし、じぶん自身に可能性を感じられているのだと思います。

「無理だ」にも「できる」にも根拠がないのなら、「できる」の方がたのしいじゃないですかい。

イデトモタカ