ESSAY

2013-12-25

モチベーション不要論。

なにをモチベーションにするか。高いモチベーションが必要だ。モチベーションを維持するためにはどうすればいいのか。そういうことが言われたりしますが、じっさいのところは、ぼくはモチベーションというものはないならないに越したことはないのではないか、と思っていたりします。

あるアメリカの作家が「もし書くためのモチベーションが湧くまで待っていたとしたら、私はきっと一冊の本も書けなかっただろう」と言っていました。そしてモチベーションというものは、書いているうちに出てくるものだと。ぼくはそれを聞いて、ひどく共感したんですね。

じぶん自身、カシミアを毎日更新することにどんなモチベーションがあるのかといえば、ないですからね、そういえば。習慣といえば習慣ですし、つまり歯を磨くようなものですし、でもそれでよろこんでくださる人がいるので、それはとてもぼくもうれしいことですから、毎朝目が覚めたら「さて、カシミア書こう」と。

でも、だからといってあなたによろこばれることを、モチベーションにはしていないようなのです。もしそれをモチベーションにしてしまっていたら、常によろこばれているかどうかという反応ばかりに気がいってしまって、それも大事なことかもしれないですが、一通の感想のメールも届かない日や、なんの反応もない日がずっとつづいたら、きっとヤになってきちゃうと思うのです。

あるいは、こういう活動をずっとつづけていれば、いつか「いいこと」があるのではないか、ということをモチベーションにしているかというと、ま、そういう下心もまったくないといえば嘘ですが、その空想も大してぼくにエネルギーを与えてくれているわけではありません。

ではけっきょく、なぜ毎日頼まれてもいないのに書きつづけられているのかというと、なんだろう、たぶんそうしようと決めたからで、そのじぶんとの約束をつとめて守ろうとしている、というだけのように思われたりもします。あらためて考えてみましたけれど、やっぱりそこには、世間一般でいわれるようなモチベーションなるものはなさそうなのです。

まさに、書いているうちに出てくるもの、なのかもしれない気がします。モチベーションを理由にことがつづかない方、行動に結びつかない方、もう「モチベーションが」っていうの、やめません?

イデトモタカ