ESSAY

2014-05-12

想いの花の密とトゲ。

花を育てるように、「想い」も栄養を与えることで、ぐんぐんと成長させて大きくできます。それはいい場合もあり、わるい場合もあります。

「いい想い」に栄養を与えていったなら、根を広げ、幹を肥らせ、枝を伸ばし、そしてなった果実は、いい未来につながる果実です。けれど反対に、「わるい想い」に栄養を与えて望む望まないにかかわらず育ててしまったなら、実ったわるい果実にいっそう胸を苦しめもします。ひとりでに、その毒にやられたりします。

だから、「想う」ことに注意したいなと思うのです。まったく考えないということは、おそらく無理です。なにかしらの刺激があったときに、反応して浮かぶ想いをゼロにすることは不可能でしょう。それゆえに、問題は蒔かれた想いの種を、すぐに刈り取るか、栄養を与えるかの選択であり、節制だろうと思われるのです。

たとえば映画スターになりたいと夢見ていたなら、舞台挨拶のときはこんな服装をして、あの人気俳優や女優、監督と一緒に照明を浴びて、そしてこんなジョークを言ってやるんだ。レッドカーペットを歩くときはこんな感じで、あ、英語でスピーチするために、今から勉強しておかないと、むふふふふ。みたいなことを想像して、そして目標達成、その願望を現実にするためにがんばろうとやる気になることは、いい想いの育て方です。

一方で、もしずっと芽が出なければどうしよう。十年ならまだしも、二十年も三十年も下積みのままで、一生陽の目を見ることなく、学生のアルバイトのような収入で恋人にも見放されて孤独に生きるかもしれない……みたいなことを想像して、ただの妄想にとても怯えて動けなくなったり、せっかくあった希望が理由もなく失われてしまうのは、わるい想いを育ててしまったためです。

結論をいいますと、いい想いにはどんどん栄養を与えて、わるい想いが浮かんだときは、すぐに断ち切って、それ以上考えないようにする。わざと思考停止する。それが「想い」のいい取り扱い方だと思うのです。

ちいさなきっかけから、恋人との将来を爛々と想像をふくらませるのも、恋人との破局を禍々しく想像をふくらませるのも、ただの妄想といえば妄想ですが、それにより現実が実際に動き出す可能性は大ですからね、なめてかかると火傷じゃすまないぜ、と。

イデトモタカ