ESSAY

2014-07-31

誰かの幸福である自覚。

あなたは「誰かの幸福である自覚」を持っていますか。ぼくは持っていませんでした。でも、そういう自覚は必要なのだということが、ようやくわかってきました。有名人やたくさんのファンのいる人は、そういう自覚が自然と育っていくのかもしれませんが、ぼくらのような一般人、ふつうに生きている人にだって、それは存在するのです。つまり、誰かの幸福であるという役割が。

過度な期待というものは、両者にとって正直に害だと思うのですが、じぶんが誰かの幸福の一翼を担っているのだ、少なからず一翼を担っている瞬間があるのだということは、自覚した方がいいように思われるのです。

ぼくらはおそらく幸福を分け合っています。じぶんの力、自己完結で掘り起こすこともあれば、誰かに届けたり、貰ったりしているのだと思うのです。だから、じぶんの届ける幸福を、お盆の上からなるべくこぼさないように努めなければいけません。じぶんだって、渡されるときに、なるべくならいっぱいにほしいものですから。

あの人が悲しむから、こういうことはしない。あの人を落胆させたくないから、ここは我慢する。そういう、他人からの期待や勝手な願望を、若いぼくは「面倒だ」と思っていました。「そんなのは知らないよ」と気づかない振りをしていました。でも、ぼくに幸福をたくさんくれる人たちができて、やっとのことで芽生えてきました。「誰かの幸福である自覚」というものが。

小生意気なことですけれどね、じぶんが誰かの幸福だなんて。でも、ぼくにとってそういう人たちがいるのだから、あるいは、あなたにだってきっと、そういう存在、相手がいるでしょうから、であるならばやっぱり、あなただって、誰かの幸福であるという役割を持っているものだと考えた方が自然です。

あなたも、誰かにとっての幸福です。幸福である自覚を忘れませんように。

イデトモタカ