ESSAY

2014-08-23

いい友だち。

互いの持っているもので遊び、互いの持っていないもので魅了し合う。いい友だちとは、そういうものだと思うようになってきました。

学生の時分には、友だちは同級生です。少し歳が離れていたとしても、せいぜい同世代の相手です。さらに、利害関係などということばも、人生や人付き合いに横槍を入れてこないので、純粋に気が合ったり一緒にいてたのしい気もちになれる相手と過してきました。

そこにももちろん、見えないニーズは存在して、それらに応え合っているからこそ関係がつづくのだとは思います。ただ、露骨ではありません。たいていは、本人も気づいていません。

それが大人になると、友だちが変化します。変化しない人もいるでしょうけれど、ぼくの場合は変化しました。つまり「魅力」が大きく関わってきました。さらに年齢の幅も同世代の範疇に収まらなくなりました。だからこそ、大人の友だちはおもしろいです。

まったく同じではないけれど、似たようなものを持っている。それが絶好の遊び道具になります。想い、悩み、志し、趣味、嗜好。合う部分が多いほど、遊びの種類もたくさん増えます。

それだけでも、いい友だちなのですが、その上で互いの持っていないものを尊敬し合えたならいっそう深く愉快な仲になれます。経験、ユーモア、特技、若さ、可能性、目標、思想。そこでさらに惹かれ合えるかどうかが、大きな要素になってくるのだと感じます。

つまり、いい友だちは、互いに成長する関係でなくては成立しつづけないものなのではないかしらんと。互いに進みつづける、変わりつづけるからこそ、維持しつづけられる。

友だち関係は、そんなプレッシャーを感じたり、変化するようなものじゃない。そういう声もあるかもしれませんけれど、ぼくには「あの人の友だちでいつづけたい」という願い、想いは人生をいっそうおもしろくする気がいたします。

いつか失うかもしれないものを、できる限りのことで大切にする。それも人生のテーマだと思うのです。

イデトモタカ