ESSAY

2014-09-25

好きの取り扱い。

スポーツドクターの辻秀一先生が、とても興味深いことを言っていました。

「今の学校教育は個人の<好き>を大事に扱っていません。ぼくは数学が好き、と言ってもあなた計算遅いじゃないと言われ、わたし国語好き、と言ってもあなた漢字書けないじゃないと言われます。そうして<好き>は価値がないもので、<得意>であることが大事であると、子どもは思うようになってくるのです」

まったくこのまま言われていたのではなく、ニュアンスとしてこういう感じだったのですが、ぼくはなるほどそうだと深く頷きました。

<好き>だというだけで、得意でも詳しくもなんでもないのなら何の意味があるというのか、価値があるというのか。そういう意見は正論なのかもしれないですが、ぼくは好きではありません。うまく反論できるわけでもないのですけれど、ただ<好き>というだけで、いいじゃないかと。得意でも詳しくもなくても、いいじゃないかと。

得意なことをしている方が、お金を稼げるかもしれませんし社会の役に立つのかもしれません。けれど好きなことをしている方が、こころはきっとたのしいです。ハッピーなはずです。単純ですけれど、ハッピーなほうがいいです。

人は好きなことをしているとき、あるいは好きなもののことを想っているだけでもこころが「揺らがず」「囚われず」のとてもいい状態になるのだそうです。それはもう、科学的に言い切れるのだと。そして、人はそういうときにじぶん本来のパワーを出しきれるのだそうです。

<好き>はいつか<得意>に格上げされて、ついには<人の役に立つ>まで辿り着くと思います。突き抜ければ、そこまで行くと思うのです。

別に人の役に立つために生まれてきたわけでもなく、社会に貢献するために生きなければならないわけでもないと思っておりますが、そうしたほうがじぶん自身も生きやすいには違いないでしょうからね、そうできたならいいなとは思うのです。

<好き>は貴重な感情です。それをまだ得意じゃないからといって笑ったり否定したりすることだけは、よっぽどくだらないのでやめたいものです。教育とはむしろ、そういうことじゃないかとさえ思われます。

イデトモタカ