ESSAY

2014-10-19

見て見ぬふりの原因。

生き物は恐怖を感じると、反射的に逃げようとするのだそうです。たとえば子鹿は、身に恐怖を感じると、ぴたっと静止して、いつでも全力で走り出せる準備をするのだといいます。

なんだそんなこと。今さらいわれなくても知ってるよ。不快を避けるのは生物の基本だよ、と思われるかもしれません。けれどぼくは、この話を聞いてはっとしました。色々なことが腑に落ちました。

「恐怖」だと捉えると、逃げる。だから人はいま、さまざまなことから目を逸らし、こころのなかで逃げているのだと思ったのです。例えば、このままだと人類は滅んでしまう。地球は滅亡してしまう。放射能が、原発が、温暖化が、食糧危機が、あるいは年金が、保険が、孤独死が、どうのこうの...。

これらは一般的には「恐怖」です。だから思考が逃げてしまうんですよね。考えないように別のことでいっぱいにして、見えないように遠いところに隠れて。

生き物は恐怖を感じると、逃げようとする。

そういう理屈は、ずっと知っていたはずなのに、だから世界中であらゆる恐ろしい問題に対して思考がなかなか「解決」に向かず、できるだけ「無視」するようになっていたのだなとは、考えたことがありませんでした。でも、じぶん自身のことからもよくよく理解できます。

ピンチはチャンス。よくそんなふうに認識を変えるのが大事だといわれますけれど、あれは本当だったんですね。「恐怖」と捉えてしまったのもについては、人も生き物ですから、逃げようとするのがふつうです。でも、それではいけないのなら、恐怖と感じられるものを、少々強引にでも「チャンス」やら「越えられる壁」やらなんでもいいから、ことば遊びでもいいから、「恐怖」以外のものに、認識を変えるのがまず一番の取り組みなのだと思います。

未来についても同じです。じぶんの将来の姿について、未来の生活について現実的に想像するのは、けっこう恐いことです。どうなっているのだろう、やっていけるのだろうか、食べていけるのだろうか、その先は、もっと先は…。そう考えていくと、いつか「恐怖」に突き当たります。

けれど、そうなると「逃げる」しかないわけですから、見えない未来を「恐怖」ではなく「可能性」と、「自由に描けるキャンバス」なんだと、強がりでもいいから捉え直して逃げずにきちんと向き合うことが、未来をじぶんで拓いていく、まず一歩なのだと思います。

逃げることを否定はしません。けれど、恐怖に怯え続けるよりは、受け容れてこころ穏やかに生きるか、変えられるものとして、立ち向かっていくか、そのどちらかの方が、人生はよりハッピーだと思います。

イデトモタカ