ESSAY

2014-11-26

本音の付き合い。

ぼくは「シンプル」が好きです。その方が、深く関われると思っているからです。その方が「豊か」だと信じているのだと思います。もしかすると、こういった価値観は、雑誌やテレビなどのメディアによって育まれたのかもしれません。けれど、どちらかといえば、メディアの発信する価値観は「たくさん=豊か」の場合が多いので、それにうんざりして、反対になったのかもしれません。

人には「ホンネ」と「タテマエ」があります。本音の付き合いは、そう多くはありません。だからこそ、それができる人は、大事な人で、そういう人と、一緒にいられる時間は大事な時間です。こころがやわらかくなる、いい時間です。人付き合いにおける「シンプル」は、本音で付き合える数少ない友人たちとの時間を、そうでない人との時間よりも優先することだと思います。いたって単純かつ明快なルールです。

この「ホンネ」と「タテマエ」は、モノとの付き合いにおいてもあると考えています。ぼくはモノと会話のできる不思議な人ではないですが、建前で所有しているモノと、本音で所有しているモノは、だれしもあるのではないかと思います。ここの「ホンネ」と「タテマエ」を、じぶんのなかで、どう感じどう考えどう選択するのかは、毎日の生活の充実度において、とても大切に感じられます。

例えば本についても、本音と建前がきっとあります。じぶんの価値観にぴったり合った、素直に感銘を受けた、はたまた、ただただ感性的に好きだという本は、(じぶんの感覚に対して)本音の本です。一方で、なんとなく本棚に飾っているとかっこいい本や、こういう本をじぶんは選ぶのだと、じぶんに対して説得しているというのか、プレゼンテーションしている本は、(じぶんの感覚に対して)建前の本です。服やアクセサリー、家具なんかでも同じです。本音のモノと建前のモノがあります。

人と変わらず、モノと深く関わるにも、やっぱり「ホンネ」であるかどうかが重要だと思うのです。シンプルな生活。それは、人にも、モノにも、本音であること。つまり、人も、モノも、本当に大切で感覚の合う相手。数は少なくても、そのなかに身を置いて、こころやわらかく過せるということが、ぼくはシンプルな生きかたと呼べるような気がします。

もっと、もっと、シンプルになりたいです。その第一歩として、まずはモノに本音で接する。それは、じぶんに本音で接することではないかと思うのです。

イデトモタカ