ESSAY

2014-12-17

謙虚と遠慮。

業界では著名なデザイナーさんが、ある番組でいっていました。

じぶんの作りたいものを作るより、求められるものを適確に作れるほうが、表現者として高級じゃないですか。

まったくもって正論なのだと思います。作りたいものを作りたがっているデザイナーやコピーライターやその他の表現者がたくさんたくさんいますから。そしておそらくは彼の周りにも、そういう人が、掃いて捨てるほどいるのだと思います。

でもね、なんですよ。仕事としてクリエイターや表現者と呼ばれることをしている存在であるならば、やっぱり彼の言うとおりで、じぶんの作りたいものを作っていたら、それは二流や三流なのだと思うのです。けれども、自らが自らのパトロンとなり、表現活動をやっている人にとっては、「そんなこと言わないでくれ」なわけです。

ただの言い訳なのかもしれませんけれど、あるときここではないところで書いている文章が、どうにも需要がないのではないかと思って、書くのをやめました。求められているというよりは、じぶんの書きたいの方が優先されているなと。時間の使いかた等々の側面から見れば、その判断はひじょうに合理的で正しかったのだと思います。

けれど、ぼくの幸福感は下がった気がします。人生の対する充足感や満足感もです。それじゃあね、意味ないんですよね。生きてるさ。

ぼくはじぶんのことをクリエイターだとか表現者だとか、そういうたいそうなものだとは思いませんが、でも書くことが好きな一人の人間として、作りたいもの作らせてくれよ、構わずさ、という気持ちは、なくならせなくていい気がします。

謙虚に生きるのと、遠慮して生きるのは、「め」と「ぬ」くらい違いますぜ。

喰えないほうがマシ、そういう生きかたも、アリ。

イデトモタカ