ESSAY

2015-01-12

電話の一喜一憂。

馬鹿だとか、考え過ぎだと、あなたは言うかもしれませんけれど、相手のことを思うほどに、それがどんな相手であろうと、こちらから連絡することができなくなります。

電話というのは、それはもう一方的な手段です。相手の時間を確実にいただきます。歓んでくれる人もいたなら、歓んではくれない人もいます。それがわからないものですから、どうしても遠ざかってしまいます。

用事は特にないという用事でも、じぶんが話したいからだとか、ただの時間つぶしだからとか、声が無性に聞きたくなったからだとか、なんとなく近況を知りたくなったからだとか、何であれ無用の用があるのは、紛れもなく電話をかけた側なわけなのです。

若い頃にはそんなことはお構いなしで、じぶんの都合、じぶんの快楽で、無闇矢鱈に電話をしていたわけですけれど、一日ゝゝ年齢を重ねてゆくうちに、妙な気遣いを憶えていくものです。

じぶん自身を思っても、電話があって、嬉しいときと、嬉しくないときがあります。嬉しい相手と、嬉しくない相手があります。はたまた、嬉しい長さと、嬉しくない長さがあります。

一番良くないのは、嬉しいときに、嬉しい相手から電話があったのにも関わらず、それが嬉しい長さを超えていってしまったときです。せっかくの嬉しいが、それだけで台無しです。

嬉しい相手、嬉しい時間、嬉しい長さ。

この三つが見事に揃うことなんて、それこそ恋人たちや親友以外には、それもそういうことについてきちんと話し合える恋人たちや親友以外には、簡単ではないでしょう。

「気が合う」というところには、そういったものへの感覚的近さも存分にありそうです。

イデトモタカ