ESSAY

2015-04-13

反いい経験。

ひどく辛い嫌な経験をしたことが、時間が経つにつれ大切なことだったとしみじみとわかってくる。と言われたりしますけれど、ちっともぼくにはそう思われません。

ものは経験だからとすすめられてやった飛び込み営業のようなことも、ぼくにとってはただのすごく嫌な経験でしたし、高校のときのすごく気の悪い体育教師のことは、今でも好きじゃありません。

そういえば誰かがすごい皮肉を言っていましたね。年配者が若年者に向かって「何事も経験だ」とか、「いい経験だと思って一度やってみろ」とかいうのは、単に若い労働力をじぶんの都合で安く使いたいのだと。すべてがそうだとまでは思いませんけれど、核心を抉り出している洞察だと感心しました。

過去に経験した嫌な挑戦や試みも、今ならもう少しマシにできるだろうとは思います。でもそれは、あまり関係のないことです。過去のその経験があろうがなかろうが、同じような気がします。

終始気の悪かったあの先生の言っていたことが、今ならよくわかるし、感謝しているということも、ぼくに限っては残念ながら全くありません。やっぱり嫌な人だったなと思います。

何度か書いておりますけれど、ぼくはあまり「直感」が好きではありません。「直感です」という人も好きではありません。直感は多くの場合間違えていることが歴史的にも心理学的にも証明されていますから。ただ、インスピレーションは信じています。ここの説明が少々ややこしいのですけれどね。

なぜこんな話をいきなりしたかというと、やっぱり「うまく言えないけど嫌だ」は大事だぞ、と言いたいからです。それは直感とは違います。動物的本能や勘というのかもしれません。

うまく言えないけれど嫌なことや、やりたくないこと、うまく言えないけれどじぶんとは合わなそうな人とは、極力関わらないようにするのがいいと思います。毎日を退屈だと思っても、人生は長くないですから、嫌な過去よりも楽しかった時間を一秒でも多く過ごしたいなと思うのです。あなたにも、そうしてほしいなと。

半強制された「いい経験」なんて、ろくでもなかったよ。

イデトモタカ