ESSAY

2015-09-13

問の非常識。

子どもや学生は不自由だけれど、オトナにはない特権もある。そのなかのひとつに、「質問に答えてもらいやすい」がある。子どもや学生だからといって、質問をすれば必ず答えてもらえるわけではないけれど、答えてもらえる可能性はずっと高い。

もしかすると、ピンとこないかもしれない。あるいは驚くかもしれない。オトナになると、質問に答えてもらえないのかと。

そんなことはない。オトナだって質問をするし、答えてもらえる。けれど、質問をしたからといって、答えてもらえないことも増える。むしろぼくは、オトナになったら、質問をしても答えてもらえない可能性というものを、ぐっと高く見積もっておいた方がいいと思っている。

質問されると、答えるのが義務だと勘違いしている人もいる。とんでもない。答えるかどうかは、質問された側の自由だ。嘘をついてもいいし、黙っていてもいい。無視するのも勝手だ。質問をしただけなのに、怒る人や、泣く人だっている。

質問をすれば、答えてもらえる。質問をされれば、答えなければならない。

それは常識じゃない。

これもまた、ピンとこないかもしれないけれど、答えがないこと、答えられないということを、ひどくネガティブに感じる人もいる。そういう人は、知ったかぶりをしたり、はぐらかしたり、テキトウな思いつきをいったり、無視したり怒ったりする。

質問は、どんどん高度に、複雑になっていく。答えのない問題ばかりがやってくる。

質問をすれば、答えてもらえる。質問をされれば、答えなければならない。

それは常識じゃないのだ。

ではなんだのだといえば、気分だ。そのときの気分で答えたり、答えなかったりする。本当のことをいったり、嘘をついたりする。そんなバカな、無茶苦茶だと思うかもしれない。

その認識は間違っていない。無茶苦茶なオトナばかりなのだから。

イデトモタカ