ESSAY

2015-11-26

発見。

スティーブ・ジョブズは21世紀の現在、起業家や野心的な若い者にとって目指すべき憧れの対象になっているようです。「憧れる」という行為自体には、ぼくは肯定的です。憧れることで、その人のことを知ろうと思い、考えかたや生活、基準を理解していくことが、じぶんを超えていくヒントになるからです。

けれど、一方で「その人のようになる」にはさまざまな矛盾と向き合わねばならず、簡単ではありません。例えばまず、憧れの対象が出てきたら、その人について書かれた伝記や、その人自身が書いた自伝を読むことでしょう。

そして、もしそれが有名な相手であるなら、関連書籍も調べて熱心にたくさん学ぶはずです。結果、いろいろとわかることもあるでしょう。発見も、驚きも、共感もあるでしょう。でも、じぶんもそうなりたいと思う、憧れの「その人」は、あなたが読んだ本を、十中八九どれも読んではいないはずです。その時点で、行動がぜんぜん違うわけです。

技芸の伝承に関しては、古くからその問題に対し「師を見るな。師の見ているものを見よ」という回答を弟子に与えてきました。その人に「なろう」とその人を見れば見るほど、今じぶんはその人のようでは「ない」という認識を強めることになります。

少しややこしい話になりますが、これは憧れについてだけではありません。じぶんにとって「理想の生活」や「理想の人生」が仮にあったとして、どうすればじぶんの掲げるその理想が手に入るだろうかと考えて、「理想どおりになる」にはどうすればいいかと試行錯誤、工夫するたびに、こころのなかでは「理想どおりではない」ということがいっそう強くインプットされることになります。

じぶん以外の何者かであれ、望むじぶんの姿であれ今のじぶんとは異なるなにかに「なろう」とすることそれ自体が「なれていない」「(今は)違う」を実感させて、皮肉にも一歩またそこから遠ざかってしまいます。まあ、あくまでもぼくの解釈ですけれど。

ではどうすればいいのかといえば、「発見」するしかないということになります。じぶんの人生のなか、現在の生活のなかに、理想の生活の断片や、憧れる人の欠片を、発見していくことが正解なのだと思われるのです。

物書きとして情けないことではありますが、文字にするのは難しいですね。いつかお話しできればいいのですけれど。

イデトモタカ