ESSAY

2016-02-03

節分の由来。

節分ではなぜ豆をまくのか。さかのぼること江戸時代、江戸の町に弥之助という男がいた。弥之助は図体ばかり大きくて、ろくに働きもしない男だった。たちの悪いことに頭は切れ、口が立つものだから、誰もが弥之助と話をすると最後にはうまく言いくるめられるのだった。

はじめは見るに見かねた町人たちが、そろそろ仕事をもったらどうだと言うのだが、ああだこうだとわかるようなわからないような屁理屈でねじ伏せてくるものだから、とうとう誰も何も言うことがなくなった。

働かないのは自由だけれど、弥之助とて食べていかなければならない。どうしていたのか。人の家で世話になっていたのだ。相手の好意からではない。無理やりに居候、寄生していた。

弥之助は図体が大きく口が立つだけでなく、人並み外れた図太さももっていた。居候、三杯目にはそっと出し。ということばも弥之助にはどこ吹く風だった。勘弁してくれと怒鳴られようが泣かれようが、弥之助は構わずここだと決めた家に居座った。そしてどういう基準からか、あるとき別の家へと寄生場所を変えるのだった。一週間でいなくなることもあれば、半年以上も居座ることもあった。

江戸の町人にとって、選ばれたらまさに貧乏クジ。弥之助は招かれざる客、貧乏神だった。実際、弥之助に選ばれた家々は、家計が傾くほどに被害を受けた。寝てばかりいるくせに弥之助の食欲たるや、一人分食費が増えるなんてものではない。それでも追い出せないのは、腕力では敵わず、口でも勝てないからだった。やがて江戸の町人たちは弥之助のことを貧乏神ではなく、家を食い潰す鬼と呼ぶようになった。

あるとき不幸にも弥之助に見初められた豆屋の家では、とうとう売り物の豆以外に食べるものがなくなった。朝も、昼も、夜も、ハトのように豆を食べた。するとどうだろう。弥之助が二、三日で出ていったのだ。

どこで噂を聞いたのか、それ以来弥之助に入られた家では、毎食毎食、豆を出すようになった。申し訳ないが豆しかないと言い張り、弥之助に豆だけを振る舞った。するとやはり、二、三日で弥之助はいなくなるのだった。

月日が経ち、弥之助のことを知る者がいなくなっても、江戸には迷信として例の噂話だけが伝え残った。「鬼退治には豆がきく」と。

そうして、弥之助(鬼)が来たら豆を食わせろ。そうすれば二、三日でいなくなる、という話がいつしか、鬼退治には豆がきく。二月三日に豆をまくと鬼が寄りつかない。となり、現代にまで伝わっているのだそうだ。

ちなみに、貧富にかかわらず、渡辺姓の家だけは一件も弥之助に入られなかったことから、鬼に強い家として、豆まきが必要ないと言われていた。

・・・と、そんなことを勝手に想像しながら、恵方巻きを食べました。

イデトモタカ