ESSAY

2016-02-24

純粋。

純粋な感情というのは、ほんとうに少ない。雑味が混ざっているわけではなくて、ぼくらが読み間違えているのだと思う。

「お金がほしい」という人がある。では銀行口座に100億円あって、あるいは自宅に100億円あって、銀行残高を見ることはできるけど、実物の100億円を所有してはいるけれど、1万円だって使うことができないといったら、そんなのは違うと言うはずだ。

では「自由に好きなだけお金がつかいたい」だったのかというと、やっぱり疑問。たとえば誰か謎の親切な人がいて、なにか欲しいものがあるたびに、その人に言えばその分だけのお金が貰えたとする。相手の動機や理由はまったくわからない。でもなんだって買えるし制限もない。無限のお小遣い制度。

最高じゃん、それでいい、という人もいれば、いや、それは違う、なんか違う、嫌だ、という人もいるだろう。ということは、それは違うという人にとっては、「自由に好きなだけお金がつかいたい」も、本当の気もちではないことになる。

だったら「贅沢できるだけのお金を稼ぎたい」が本当なのかというと、プライベートの時間、稼いだお金をつかう時間はなくていいのとなる。そして、それはやっぱり違うのだ。

もうどんどん複雑になっていく。でもつきつめてみたほうがいい。じぶんの純粋な気もちはなんなのか。もしかしたら今していることも、アクセルとブレーキを同時に踏むようなことになっているかもしれない。そういうことは、実に少なくないのだ。

イデトモタカ