ESSAY

2016-08-06

ことばの問題。

ことばには「なにをいうか」と「だれがいうか」があります。これを分けて考えないことが、ほんとうはいいのかもしれませんが、人にとってそれは不可能の近い問題です。同じことをいうにしても、あの人がいうのと、この人がいうのでは、まるで受けとり方が変わってしまいます。印象が違ってしまいます。

ということは、ことばというものは、含まれている意味のなかだけでなく、その出処(発言者)によって重さが変化するということになります。そしてことばの説得力というのは、ことばの組み合わせや視点だけでなく、出処(発言者)に対する印象に依存するということにもなります。

つまり、仮にことばに説得力がないとすれば、それは意味だけの問題ではなく、ぼくの(あたなの)存在に説得力がない、ということになるのだろうと思われます。これは大きなポイントです。

例えば、毎日遅刻をする人のいいわけと、今まで一度も遅刻をしたことがない人のいいわけと、内容が同じだったとしても、説得力は雲泥の差です。そんなの当たり前じゃないか、と思われるかもしれませんけれど、「ことばの中身だけじゃない」という真実は、けっこう重大な問題なのです。

ことばをうまく操れるようになりたい、と思う人は少なくないようです。漢字検定や日本語検定、敬語の使い方、あらすじで読む日本文学、やくざの説得術、いろいろな日本語やことばに関する指南書や資格、能力を向上させるニーズがあります。博識であるというのも、魅力に数えられます。

けれど、一番の問題は、人なのです。ことば以上に、発言者(ぼくやあなた)がどうであるかが、ことばの意味を決めます。どれだけことばを重ねても、積み上げても、それが相手に伝わるか、どう届くのかは、どこまでいっても、ぼくや、あなた、です。

ことばを磨くということは、人間を磨くことにほかなりません。

イデトモタカ