ESSAY

2016-09-25

無視コミュニケーション。

「これについて、どう思う?」と訊いたときに、すぐに調べる癖を、ぼくはどうにも好きになれません。それは効率的なのかもしれません。それで答えが出るのかもしれません。でもぼくの、あなたと話したいという気もちは、完全に無視されているのです。早く答えがでたほうがいいじゃないかと思われているのかもしれませんけれど、だったらじぶんで調べます。

なぜでしょうね。話しているそばから、すぐに検索をして、それはこうだよ、こう書いてるよ、合ってるよ、間違ってるよという人を、効率的で、現代的で、スマートで、賢いと、思ったことは一度もありません。むしろ大半は、なんだか残念な気もちになります。あるいはぼくが「遅れて」いるのでしょうかね。

調べるコストがどんどん下がり、調べる能力がどんどん一般化して、なおさら意見を持つ人が減った気がします。調べればすぐに出てくる(選べる)意見を、じぶんでこしらえて持つことに、あまり意味や価値が感じられなくなったのかしらん。じぶんで考えて、じぶんで出した意見や考えは、間違っている可能性がありますし、反論される危険性だって含んでいます。でも、そういうものだったはずです。人とのコミュニケーションは。

コミュニケーションや対話を勝ち負けで考えると、じぶんの意見を出さない方が負けにくいです。否定されても、反論されても、他の人のものですから切り捨てられます。だったらと、違う意見をまたとってこれます。

「どう思う?」と訊かれたときに、「ぼくはこう思う」と、素直にいえる人でありつづけたいです。そのための努力なら、したいなと。

イデトモタカ