ESSAY

2016-10-03

一方的な再会。

人の顔も、名前も、道順も、出来事も、まるで憶えていられないのですけれど、なぜか誕生日の数字はよく残っています。きょうも、ああ、あの人の誕生日だな、と思いながらカレンダーを見ました。けれどその人とはもう10年以上会っていなければ、連絡もとっておらず、まして連絡先も知りません。なにより、会いたいとも願いません。

それなのに、ぼくは誕生日を憶えています。わかりませんが、きっと、相手はぼくの誕生日も、もしかしたらぼくのことも、あんまり憶えていないかもしれません。いや、憶えていないことはないでしょうけれど、思い出す機会はないだろうという気がします。

ただぼくのほうは、望む、望まないにかかわらず、誕生日を憶えているせいで、毎年1回であれ思い出すことになります。おもしろいことに、最後の印象に思い出が統合されます。出会ったころは、とてもいい人だったのですが、最後の方には、あんまりいい人ではないな、と思うようになってしまったので、いい人の期間の方が長かったにもかかわらず、あんまりいい思い出は浮かんできません。

ぼくは憶えているけれど、相手はもう、ちっとも考えてもいないだろうなと想像すると、勝手な話ですけれど、悔しくもあります。あるいは、別の場合も、あるのかしらん。相手だけ、ときどき、ぼくのことを思い出していて、ぼくはまるで、忘れてしまっていることが。

もし、そういうことがあるのなら、どんなに嫌な相手だろうが、腹の立つことをされようが、意識的な復讐や報復をするよりも、いい気がします。ぼくのなかの奇妙な(サディスティックな)部分が、そういう生きかたを推奨しているようにもみえます。

イデトモタカ