ESSAY

2017-01-01

大晦日と元旦に。

昨日、つまり大晦日の「カシミア」を更新する前、夜7時半頃に、風呂場で父親が倒れました。幸いぼくも母親もドタンという大きな音に気づいてすぐに救急車を呼びました。意識が朦朧としている裸の父親の体をタオルで拭き、抱きかかえました。体型はぼくより少し肉付きがいい程度ですが、脱力した人間の体は、こんなに重いのかと驚きました。母親では絶対に支えきれないほどでした。「寒い」「めまいがする」「救急車」「起こして」と力ない声で言い、しばらくすると意識を失って、立ったまま風呂場でボタボタボタ、とお尻から泥のような塊を大量に出しました。ひどい臭いから便だと思いましたが、それは黒く固形化した血でした。この人は死ぬかもしれないと、本気で考えました。おい、しっかりしてくれよ、と気づいたらぼくは泣きながら叫んでました。リビングでは母親がヒステリックな声で電話に向かって叫んでいました。意識を取り戻した父親は、視界の隅で風呂場の床に出された大量の便のような塊を見て、「これはおれが出したのか」と聞きました。そうだ、とぼくが答えると、「肛門の力が入らなくなるのは、死ぬときだ」と言いました。10分ほどで救急隊員がドアを開けて入ってきて、リビングのソファーに座らせた父親を担架に乗せ、運び出しました。風呂場の黒い便を見て、わかりました、と言いました。父親の保険証と、財布と携帯と、マックと、鞄に投げ入れて母親と一緒に救急車に乗りました。そのときには、真っ青だった父親の顔、皮膚は、死んだ生きもののように濁った黄色になっていました。検査後聞いた話では、その時点で体の3分の1の血液を失っていたそうです。茹でた大きな海老も、蕎麦も、炊きたての赤飯も、みんな台所の置いてきて、ぼくと母親はコンビニで買ったおにぎりとサンドイッチと野菜ジュースを待合室で食べました。気づいたら暗い救急病院のソファーの上で年が明けていました。幸い、父親は無事で、今日見舞いに行っても、衰弱していましたが会話はできました。二週間も入院すれば、恐らく退院できそうです。

今年を終えられることは奇跡だ。来年を迎えられることは奇跡だ。ぼくらは奇跡に気づかず生きている。「では、また書きます」と言い、その「また」がやってくることは、互いに迎えられることは、奇跡なのだ。「まさか」はいつでもやってくる。そのときに、はじめて、みんな、すべてが奇跡だったのだと知る。

昨日書いたこの文章は、病院の待合室で書きました。生きているということは、健康だということは、大変なことなのだなと改めて実感しました。

今年もみんなで年末を迎えましょう。来年を迎えましょうね。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。どうか、健康で。

イデトモタカ