ESSAY

2017-01-02

縁のなかで。

昨日の記事を読んでくださった方にはご心配をおかけしましたけれど、父親はずいぶんと快復してきました。まだ精密検査がありますけれど、今日明日でどうこうという場所からは脱することができたみたいです。

息子としては、父親ほど健康な人はそうそういないと思っていたほどですが、でもそんな人でも急にどうなるかわかりません。それをあらためて思い知らされました。縁起でもない話ですが、昨日ぼくが大阪に、家に、もしもいなければ、正直助からなかったかもしれません。

そして大晦日の夜で幸いにして道路が空いていて、さらにまだ近い病院の消化器科の先生がいらっしゃって、病院のベッドが空いていて、同じ型の輸血がすぐに手配できて、と、いろいろな、父親や、ぼくらにとってすばらしい偶然が重なりました。起きた出来事そのものは大変でしたが、悪いところがあったわけですから、遅かれ早かれこうなっていたのだろうと思います。そういう意味では、助かるときに起こって、幸いでした。

人生は、いつ、どこで、だれと、なのだ、とぼくはここで何度か書かせていただきましたが、今回ほど、それを実感したこともないです。むしろ、本当の意味で、いつ、どこで、だれと、なのだということを、知った気がします。

いつ、どこで、だれと、というのは、つまりは「縁」です。縁のなかにいて、縁のもとで生きています。いい縁をつくりましょうね。いい縁のなかで生きましょう。そのためにできることは、あるはずですから。じぶんを、いい縁のなかに置く。それ以上にできることなんて、ありませんから。

イデトモタカ