ESSAY

2017-02-17

考える足場。

体調がいいときには、体調がいいときの思考しかしません。ふだんあれこれ考えているつもりになっても、体調がいいという環境条件に縛られている以上、やはり体調がいい人間としてしか思ったり考えたりはしないしできないものです。そういう意味では、じぶんとはまったく違う環境や立場や状況の人のことを想像するというのは、なかなか簡単なことではありません。

ここ数日とても体調がわるく、久しぶりに高熱や頭痛や寒気や関節痛というものに悩まされながら過しておりました。なので久々に体調がわるいとき(人)の思考で暮らしていたということになります。真っ先に思ったのは、これはじぶんの体でありながら、完全なるじぶんのものではないのだ、ということでした。

痛みがあるので、治まれ、と思うのですが、そうやすやすとは良くなりません。期間を長く見積もれば、そう念じることで(そうしないよりかは)徐々に良くなるという力はきっとあるのだと信じております。けれど、今の今、という効力は期待できないものです。ぼくのものでありながら、ぼくの権限で、すべてが叶うものではないのだと、なぜかあらためて実感させられました。

むしろ体のほうが主人のように振る舞い、痛さや苦痛によって、ぼくにああしろ、こうしろ、と強く訴えてきます。さらには、過去の行いを後悔させたり、良くない生活習慣を改めさせようとします。

しかしこれは、体調のわるいときの思考です。あまり体調がいいと、わるいことなどないと、おそらくはそういう考えはしないだろうとも思います。あまりに体調がよく、あまりに健康で、あまりに健全な人、ずっとそうだという人は、ぼくは不健康な人よりもいくらか怖かったりします。考えたことがないことがたくさんあるのは、幸せなこととも言えますが、世界が不完全にもなります。

イデトモタカ