ESSAY

2017-03-28

好意の投資先。

コミュニケーションで重要なのは、ほとんどの場合「ことば」ではなく「好意」です。相手がじぶんのことを好いていたなら、たいていの問題は解決されます。ことばが足りなかろうが、少々失礼があろうが、どうということはありません。要望も希望も、よほどのことでない限り、交渉や駆け引きなどなしに受け容れてもらえます。そこには話術や説得力など、つまり、「術」や「力」は不要です。ただ、相手がじぶんを好いている。それだけで世界はとても甘く優しくなります。

一変、相手がじぶんのことを好きでなくなったり、興味や関心が、あるいは愛情が、別のところや人に移った途端、なにもかもが、スムーズだった、簡単だったあらゆることが、面倒で不可能になります。ここでも「術」や「力」は大した意味を持ちません。仮に「術」や「力」で思いどおりの結果を得たら、好意という面ではさらに悪化させる場合もあります。

ですので、大雑把な結論としては、嫌われるよりも好かれたほうが楽ができます。便利だったり、ありがたかったりします。でも「みんなに」好かれようと思ったら、逆転して一気に生きにくくなります。あちらを立てればこちらが立たず、ということはたくさんありますし、八方美人であればいいというわけでもありません。

ではでは、一体どうすればいいのだですが、もうこれは「じぶんの好きな人」ということで、いいのではないかと思っております。じぶんの好きな人で、これからも長くずっと関わっていくであろう人に最大限好かれるようにする。ありふれた話ですね。でもそれができれば、人生はすごく良くなります。すでに好かれていたとしても、好かれるようにします。それが一番いい投資になります。

人はなぜだか、新しい人に好かれようとします。たぶん刺激がほしいからだと思います。味わったことのない、新鮮な刺激が。そのために間違った投資をします。あまり意味のない人に好かれる努力をしたりします。まったく意味がないとはいえませんけれど、あなたの人生を構成している重要人物は、もっとありふれた人ではないかしらん。

イデトモタカ